ひとは どうやって まえむきになるのか

まえむきプロジェクト というコンセプトができたはいいが

そもそも ひとは どうやって まえむきになるのか

いちど 熟考してみる必要が ある!

まえむき とは 積極的・発展的なこと

「ひとは どうやって 積極的・発展的になるのか」と言い換える

そもそも 「積極的」とはなにか?

物事を自ら進んで行う様子。

そもそも「発展的」とはなにか?

物事が進展し広がる様相を呈する様。

とのこと。

では どんなときに ひとは 物事を自ら進んで行うのか?

たとえば

1. 目的があるとき。

2. 危険がせまっているとき。

3. 欲しい物があるとき

一般化すると

恐怖・希望が心理的に近い場所にあるとき。

(「心理的に」と言ったのは、ひとによって恐怖・希望の感じ方が異なるため。ぎりぎりにならないと自ら進んで行うことが難しい人もいれば、まだかなり遠い将来に起こることに対して自ら進んで準備することができる人もいる)

だとすると 「ひとは 恐怖・希望が心理的に近くなったら まえむきになる」のかな。

一方で 恐怖が心理的に近すぎると 自ら進んで動けなくなる場合もありそうだ。

また 希望に関しても 心理的に近すぎると 自ら進んでやる必要がない もしくは希望だと感じなくなる場合がありそうだ。

だとすると「ひとは 恐怖・希望が心理的に近づくと感じたとき まえむきになる」のかな。

いったんこれを本質としよう。

では、どうやって ひとは まえむきに なることができるだろう?

ひとは 恐怖・希望が心理的に近づくと感じたとき まえむきになる」から

「まだ 恐怖や希望が 遠い」と感じている人に その距離を縮めてあげることが

「だれかをまえむきにする方法」かもしれない。

「目標が遠すぎて」まえむきに なれない なら

いま やっていることが かならず将来 やくにたつと

感じられるような はたらきかけをするのが いいかもしれない。

「そもそも 目標がなくて」まえむきに なれない なら

いま 過ごしている毎日から 小さな目標をつくれるように

はたらきかけをするのが いいかもしれない。

「だれかをまえむきにする方法」は

だれかと 希望を つなぎとめること かもしれない。

きょうは ここまで!

おつかれさまでした。

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